日本史最大のミステリー、それは邪馬台国(やまたいこく)がどこにあったのかという永遠の問いですよね。九州説、畿内説はもちろん、遠く沖縄やインドネシア、果てはエジプトまで?と様々な説が飛び交っています。
しかし、この夏、にわかに注目されているのが「邪馬台国は別府温泉にあった」という衝撃の新説!その真偽はいかに?地元民の私が、その真相に迫ります。
大分県内の最有力候補は宇佐市?比売大神=卑弥呼説の謎

宇佐神宮と卑弥呼の墓伝説
これまで大分県内で邪馬台国の有力候補として語られてきたのは、宇佐市でした。全国八幡宮の総本山である宇佐神宮がある場所です。
宇佐神宮の主祭神である比売大神(ひめおおかみ)こそが卑弥呼(ひみこ)であるという説があり、さらに宇佐神宮が鎮座する亀山が卑弥呼の墓であるというロマンあふれる言い伝えまであるのです。
もしこれが事実なら、宇佐神宮のさらなる発掘調査によって、卑弥呼の墓が発見される可能性もゼロではありませんよね。宇佐神宮の魅力については、こちらの記事もぜひご覧ください。
邪馬台国は別府温泉の火山灰に埋もれている!?衝撃の新説が提示する真実

魏志倭人伝の記述を徹底解析!新刊「邪馬台国は別府温泉だった!」
そしてこの夏、ついにその衝撃の新説を提唱する一冊の本が出版されました。その名も『邪馬台国は別府温泉だった!火山灰に封印された卑弥呼の王宮』(酒井正士 著)。
著者の酒井正士さん(64歳)は、東京都出身で東京大学農学部を卒業後、ヤクルト本社で脳機能改善や老化予防の医薬品・食品開発などを手掛けてきた異色の経歴を持つ方です。また、「全国邪馬台国連絡協議会」の会員として独自の研究を進めてこられたそうです。
酒井さんが注目したのは、『魏志倭人伝』に残された「距離と方向」に関する記述。これまでの多くの学説では、古代中国の使節が日本に上陸したとされる「末廬国」(まつろこく)を現在の松浦地方(唐津市)とし、そこから伊都国(いとこく)を経て邪馬台国へ向かうというルートが一般的でした。これが九州説や畿内説の根拠となっています。
しかし、酒井さんは『魏志倭人伝』にある「伊都国は末廬国の南東に位置する」という記載に疑問を投げかけます。実際の松浦(唐津市)と糸島市は「東」の方向であり、方角が異なることを指摘しているのです。
精密な測量と現代データが導き出した「別府説」
酒井さんは、高度な測量技術を持ち、正確な方角を重視した古代中国人が書き残した『魏志倭人伝』の記述は、距離や方角についても正確であると確信。現代に残された地図や地形図、航空写真といった膨大なデータを分析し、末廬国を北九州市と仮定することから、各地の位置を推定していきました。
その結果、驚くべきことに、現在でいう日向街道を別府方面に進んだ道筋が、『魏志倭人伝』の記述と距離も方向もぴったりと一致することが判明したというのです!
綿密な検証の結果、酒井さんは「邪馬台国は別府市街にあった」という結論に達しています。そして、さらに衝撃的なのは、その遺跡が残念ながら867年の鶴見岳・伽藍岳の大噴火によって、厚い火山灰の下に埋もれてしまっているとも書かれていたことです。
地元民が読んだ『邪馬台国は別府温泉だった!』の感想
衝撃と納得、そして地元への強い思い
この本を読んだ私の正直な感想は、まさに「衝撃的!」の一言でした。普段あまり本を読まない私ですが、読み進めるうちにグイグイ引き込まれ、一気に読破してしまいました。
酒井さんの論理展開は非常に説得力があり、「なるほど!」と膝を打つことばかり。長年のミステリーが、まるで目の前で解き明かされていくような感覚でした。
火山灰に埋もれてしまっているため、現状での発掘調査は難しいのかもしれません。しかし、私はこの本を読んで、確信しました。
絶対に邪馬台国は別府温泉にあります!
地元民としては、本当にそうあってほしいと強く願わずにはいられません。
まとめ:別府温泉に眠る邪馬台国のロマン
この夏、出版された『邪馬台国は別府温泉だった!火山灰に封印された卑弥呼の王宮』は、私にとって非常に衝撃的で、かつ辻褄の合うことばかりで納得させられる内容でした。
もし本当に別府に邪馬台国があったとしたら、私たち地元民にとってこれほど誇らしいことはありません。ロマンあふれるこの新説に、今後も目が離せませんね。
あなたはこの「別府温泉邪馬台国説」、どう思われますか?
別府の観光情報については、こちらの公式ページも参考にしてみてください。
別府市観光情報サイト
一般社団法人 別府市観光協会
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